2013/02/09(土曜) 07:57

「あきらめてくれなかった上司」  ~江副さん、ご逝去の報に接し~

「江副さんのこと、聞いた?」


出張先のホテルに早朝、

昔の上司からの携帯メール。

リクルート創業者の江副さんが亡くなったことを知った。

 


新聞の一面、「リクルート事件で有罪が確定した元リクルート会長」と、

事件がらみの記事に終始していることに、気持ちが揺れた。

「マスコミは、いったい何を知っているというのか

思わず、そんな声が出る。

 

私は、事件当時、捜査の入った事業部にいた。


オフィスの書類や手帳が、ダンボールでごっそり持っていかれたが、

社内恋愛が発覚したり、引き出しの中からお菓子の山が見つかっただけで、

事件の証拠の足しにはならなかった、という笑い話をあちこちで聞いた。

 

リクルートの通信事業は85年にスタートし、素人集団と揶揄されながら、

リセールマーケットのシェアを着々と確保していった。

「5時に帰る」は朝の5時、というくらい、みんな必死に仕事をしていた。

“半日仕事を休むと会社が潰れる”くらいの危機感が、事業部全体にあった。


あの事業部・先輩・上司がいなければ、私は今、仕事をしていないと思う。

厳しいながらウェットで「あきらめない」ことにタフだった。

 

私は入社半年、売れない営業マンとして、

文系卒には興味の湧かない「通信回線」に翻弄されていた。


電話が怖くて、一日10件しかコールできない。

やっと取れたアポイントで、何も話せず、お客さんに呆れられる。

大事な接待で、しゃぶしゃぶをクツクツ煮込んでしまう。

間抜けで意気地のない、情けない営業マンだった。


そんな私に、上司と先輩たちは、

飲み屋で語る、交換日記をする、胸ぐらを掴んで怒鳴る。

どんなに売れずとも、手をかえ、品をかえ「やれる」と、私に伝え続けた。

 

 

こんなことがあった。


朝9時のプレゼンを控えながら、提案書が書けずにコタツでうなっていた夜中の3時。

アパートの電話が鳴る。受話器を取ると、酒席帰りの上司の声だ。


「どうだ?」

「え、全然、書けてません・・・・」

「お前が本当に、お客さんの役に立つと思うことを3つ言ってみろ」

「え~、陳腐化しない。。。うちの会社は、どこよりも頑張れると思う。。。

それから。。」

「それを書いて持っていけ」


朝9時ジャスト。その3つを手書きした提案書を持ってお客さんの元へ。

お客さんは、私の顔を見て一言。「夕べ、寝てないでしょ・・・ありがとう」

 

その商談は、売れない私のエポックとなる大型受注になった。

 

私をあきらめてくれない上司がいたから、私も自分をあきらめなかった。

「しぶとい」「あきらめない」が、仕事の信条になった。

 

 

私が知っている江副さんは、本社のフロアを、時々ふらふら歩き、

小柄な身体で、穏やかに語る人だった。

いい意味のオーナーで、これと思ったことは譲らない面も先輩から聞いていた。


全社総会では、目標達成に対し、

「あなたがたは本当に素晴らしい。私は誇りに思う」と、

昨日までの辛いことも、いっぺんに報われるような声に参加者全員が鼓舞された。

 

「善と悪」でしか、ものを語れない報道のヒステリックに憤りを感じつつ、

江副さんを無理に賛美するでもなく、

リクルートという環境を作られた功績には1ミリの疑問を感じるわけでなく、

その土俵で育ててもらった機会に、純粋に感謝をする。

 

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