もともと発想は単純でした。
講師仲間の一人が「焚火を中心とした“場を作る研修”」に
トライしたいと熱く語っていた。
それなら、その機会を作ろう。
そうだ、うちの講師塾で、夏合宿というのはどうだろう。
お互いにとことん話をしたいと思っていた。
「焚火を囲む」というのは、うってつけではないか。
知り合いのお寺に連絡を取る。
焚火ができる、宿坊もある、セミナールームもある、
富士山が間近に見える、食事が美味しい!
いいぞ!素敵な合宿になりそうだ。
あっという間に当日を迎える。
朝6時過ぎに家をでて、東京駅から予定の電車に乗り込む。
あ、手土産にと買っておいた一元屋さんのきんつばを
切符売り場に忘れてきた。ショック。。。。
途中、仲間の講師が新宿で電車に乗り込んできて、
この2日間をどう進めようか、最後の打ち合わせをするうちに、
緊張も忍び寄る。なにせ、初めての試みだ。
みんなうまく場に馴染んでくれるだろうか。
用意していたプログラムは、意図通り機能してくれるだろうか。。。
富士山駅で参加者の顔を見つけ、
緑豊かなお寺に入り、空気を一口吸ったとたん、
いろんな心配が吹っ飛んだ。
ちゃんと準備をしてきたんだ、きっといいことが起きる。
今までの私は「事件は会議室で起きている」と吠えていた。
自然の中での研修は世の中多くあるけど、
現実に戻ったときに、本当に機能するのだろうか。
多くの人は、都会の雑踏の中で仕事をしているんだ。
でも、そんな小さなこだわりを、
緑と空気が、あっという間にどこかにやってしまった。
その場にいるだけで、いらないものを手放して「素」でいられる自分。
いらぬ心配も、
いらぬこだわりも、
どっちでも良くなった。
今、この場をこそ満喫し、この場を一緒に創ろう。
実施したことは、案外単純。
「素」になって話ができる場をみんなで一緒に創り、
「場」に自分自身がどう臨むのかを考え、
「裸」になって語り合う。
「思」いをお互い同士で応援しあい、
「意」をそれぞれが固める。
安心していられる場だからこそ、自分を出すことができる。
そのことで自分と相手の豊かさに気づく。
お互いがお互いにトライするからこそ生まれる応援の輪。
丹精込めたごはんがこんなにも元気をくれること、
凛とした空気がクリアで正直な世界をくれること、
故郷に帰ったかのような宿坊に体がほどける感覚。
緑に包まれた暗がりがあるからこそ、
そこにあたたかな焚火があるからこそ語られること。
「場」の力と、「場を創り上げていく人の力」に
圧倒的な充実の2日間。
人はこんなにも豊かで感動的な生き物なのだと思い知った夏合宿でした