~江副さん、ご逝去の報に接し~
「江副さんのこと、聞いた?」
出張先のホテルに早朝、 昔の上司からの携帯メール。
リクルート創業者の江副さんが亡くなったことを知った。
新聞の一面、「リクルート事件で有罪が確定した元リクルート会長」と、
事件がらみの記事に終始していることに、気持ちが揺れた。
「マスコミは、いったい何を知っているというのか」 思わず、そんな声が出る。
私は、事件当時、捜査の入った事業部にいた。
オフィスの書類や手帳が、ダンボールでごっそり持っていかれたが、
社内恋愛が発覚したり、引き出しの中からお菓子の山が見つかっただけで、
事件の証拠の足しにはならなかった、という笑い話をあちこちで聞いた。
リクルートの通信事業は85年にスタートし、素人集団と揶揄されながら、
リセールマーケットのシェアを着々と確保していった。
「5時に帰る」は朝の5時、というくらい、みんな必死に仕事をしていた。
“半日仕事を休むと会社が潰れる”くらいの危機感が、事業部全体にあった。
あの事業部・先輩・上司がいなければ、私は今、仕事をしていないと思う。
厳しいながらウェットで「あきらめない」ことにタフだった。
私は入社半年、売れない営業マンとして、
文系卒には興味の湧かない「通信回線」に翻弄されていた。
電話が怖くて、一日10件しかコールできない。
やっと取れたアポイントで、
何も話せず、お客さんに呆れられる。
大事な接待で、
しゃぶしゃぶをクツクツ煮込んでしまう。
間抜けで意気地のない、情けない営業マンだった。
そんな私に、上司と先輩たちは、
飲み屋で語る、交換日記をする、胸ぐらを掴んで怒鳴る。
どんなに売れずとも、手をかえ、品をかえ「やれる」と、私に伝え続けた。
こんなことがあった。
朝9時のプレゼンを控えながら、提案書が書けずにコタツでうなっていた夜中の3時。アパートの電話が鳴る。受話器を取ると、酒席帰りの上司の声だ。
「どうだ?」
「え、全然、書けてません・・・・」
「お前が本当に、お客さんの役に立つと思うことを3つ言ってみろ」
「え~、陳腐化しない。。。うちの会社は、どこよりも頑張れると思う。。。
それから。。」
「それを書いて持っていけ」
朝9時ジャスト。
その3つを手書きした提案書を持ってお客さんの元へ。
お客さんは、私の顔を見て一言。
「夕べ、寝てないでしょ・・・ありがとう」
その商談は、売れない私のエポックとなる大型受注になった。
私をあきらめてくれない上司がいたから、私も自分をあきらめなかった。
「しぶとい」「あきらめない」が、仕事の信条になった。
私が知っている江副さんは、
本社のフロアを、時々ふらふら歩き、小柄な身体で、穏やかに語る人だった。
いい意味のオーナーで、これと思ったことは譲らない面も先輩から聞いていた。
全社総会では、目標達成に対し、
「あなたがたは本当に素晴らしい。私は誇りに思う」と、
昨日までの辛いことも、いっぺんに報われるような声に参加者全員が鼓舞された。
「善と悪」でしか、ものを語れない報道のヒステリックに憤りを感じつつ、
江副さんを無理に賛美するでもなく、
リクルートという環境を作られた功績には1ミリの疑問を感じるわけでなく、
その土俵で育ててもらった機会に、純粋に感謝をする。