メダカを極める

ここ数年、箱根駅伝の応援に
12日の早朝から大手町まで出かけて行く。


6時前、まだあたりは暗い。
ぞくぞくと各校の応援部やブラバンが集まり、
寒い中、チアの練習が始まる。

7時になると、各校の応援合戦が始まり、
8時の号砲で一斉に選手がスタートし、
あっという間に見えなくなる。

その後は、もっぱら家のテレビで応援だ。

 

途中でふらふらになりながらも襷をつなぐ姿、
5秒が足りず目前の繰り上げ出走に泣く姿、
追い付かれそうになりながらも必死の走りで逃げ切る姿。


一人ひとりに、チームそれぞれにドラマがある。

 

どの姿にも、「頑張れよ!」と心から声をかけたくなる。
精一杯、自分を走っている姿に、芯から心揺さぶられる。

 

 

テレビ画面を見ながら、ふと思い出した。
「メダカはメダカで立派なんだ」


大学受験に落ち、浪人しているときに、
予備校の先生が言った言葉。

「メダカとして生まれたのに、クジラになれと
親に期待されて頑張っている人を見ると気の毒になる。
メダカはメダカになるために生まれてきた。
クジラになるためではない。
メダカはメダカとして立派な成魚になる、
それが大事だということが、なぜわからないんだ」

 

その言葉は、当時の私の救いになった。
自分が自分であって、何がいけないのか。


だから、会社を作るときにミッションに書いた。
「めだかは、めだかを。クジラは、クジラを精一杯生きる」
それは、それぞれが持って生まれたギフトだから。


ここ何年か、
自分ではないナニモノかになろうとして汲々としていた。

 

 

今、目の前を走っている選手は、
一人ひとりが、本当に一生懸命で、
本当にすてきだ。

 

「自分らしく生きる」
今年も地道にスタートしよう。